66記念ニュース!第4弾 スキルトイという世界を作った男

66ニュース!といいつつ、コラムと化していますが、、、

ヨーヨー、こま、けん玉などのジャンルを総称してスキルトイと呼びます。これは日本ではまだ広く認知されていない言葉ですが、業界では定着したジャンルの総称になっていると思います。

ヨーヨーを長く続けた後に隣の畑、けん玉やこまの人と話すと分かるのですが、ツールの違いはあれど、楽しみ方、コミュニテイーの作り方から問題点まで非常に類似点が多いのです。

歴史的にも

ダンカンはヨーヨーブームの後にスピントップを発売しました。

コカコーラはヨーヨーブームの後にバンバンボールを発売しました。

ハイパーヨーヨーはブームの後にジターリング他、ハイパーゲームズを発売しました。

ビジネスベースの話で行くとヨーヨーのプロモーションは他の玩具と比べるとやや特殊です。なので一度ヨーヨーがヒットした後に全く新規のものを立ち上げるよりは似たものを同じ売り方するほうが企業としては容易なのです。

スポーツトイと呼ばれたりジャグリングの1カテゴリーになりそうで玩具的な要素が強いことからジャグラーからは敬遠され、と定まってこなかったこのカテゴリーにスキルトイという名前をつけ世界を作った人がいます。

その昔、IJA(米国で行われいるジャグリングの世界大会)でヨーヨー世界大会が行われていた時期を知る人はどれくらいいるでしょうか?(90年代前半にはけん玉からジャグラーになった、日本のジャグラーの草分け的存在、マサヒロ水野さんなどもヨーヨー大会に参加されていました。)

その人はヨーヨーの発展のためには社会的に認知してもらうことと、エンターテイメントとして演出される必要があるという信念の元、ヨーヨーの世界大会を始めた人でもあります。

世界チャンピオンになることは世界一になったことを持って社会に向けてヨーヨーとは何かを知らせていく責任がある、とチャンピオン自体のみに価値があるのではなくて、その後の燃え尽きにならないようにきちんと道を付けて説明してくれました。

ヨーヨーチャンピオンは(ヨーヨーを広める)手段であって(到達するゴールとしての)目的ではない

ことを最初からわかっていたのです。

ヨーヨー界の発展に寄与した後はスピントップの開発に力を入れ、”失われた文化”となりつつあったスピントップをアメリカで継続させようとしています。

もう誰かおわかりだと思います。そう、ヨーヨーグランドマスターこと、デールオリバーその人です。

アメリカでスキルトイという言葉を作り、玩具業界に定着させようとしたのは彼です。スピンサイエンスというプログラムで学校教育の現場でヨーヨーを広めるべく、ヨーヨーを主軸に、スピントップ、ディアボロなどを使い、体育の授業と、ジャイロ効果、摩擦、テコの原理などをおもちゃを使って学ぶサイエンスショーを展開してきました。

ヨーヨーだけではなく、スピントップにおいてもボールベアリングを搭載することで遊びの幅が一気に変わりました。

あまりイメージはないと思いますが、世界で初めてローラーベアリングを内蔵したディアボロを開発したのがTakaで発売元はスピンタスティクスでした。(ヨーホーも同時期に同様のコンセプトのものを発売していますが、構造がややことなります。スピンタスティクスの台湾工場が金型を流出させたことで台湾で広まり、ディアボロの世界が変わりました)

自分にとって、ヨーヨーを始めたきかけはアレックス・ガルシアですが、ヨーヨープロになる機会を与えてくれたのはデールオリバーなので、ヨーヨープロの師匠として、人生の師匠として尊敬をしています。

ヨーヨー競技者であるころは見えないことでも、一定の距離をとってみたことで感じることやヨーヨー界にとって必要なことを整理していくとデールオリバーがヨーヨー以外の分野にも活動の幅を広げ、スキルトイというカテゴリーの中でヨーヨー会社を安定させようとしたのは歴史的にみても自然な流れでした。

ヨーヨーを本業として長い間安定して続いている会社は無いというのも当時の事実。ダンカンはブーム後、裁判費用、在庫の問題などで、創業者からは手を離れ、Flambeauという大きなプラスティック会社に買収されているのはご存知のとおりです。世界中で旋風を巻き起こし、未だに多くの人の記憶に残るラッセル社ですらもヨーヨー一本では成り立たず、企業としては存続していません。世界中にチームメンバーを持ち、栄華を極めたプレイマックス社も最後には数百万個の在庫と共にダンカンに買収されています。

デールオリバーがスピンタスティクス社という会社を立ち上げる時にヨーヨーだけではなく、その他のスキルトイも合わせたスキルトイブランドとしてスタートさせていくのは自然の流れだと思います。

ハイパーヨーヨーも過去3度のブームはありましたがブーム後には必ず落ち込みがあり、ブームの時にヨーヨーが仕事だった人たちが継続して生き残るのは至難の技です。

1997年のブームの時に、コカコーラのときのチャンピオンにも同じようなことを言われていて、ヨーヨーはブームで終わるからその後は結婚式の司会でも何でもして食いつないだ、という話を聞きました。

デールオリバーが真面目な顔をして、ヨーヨープロとして生き残るなら毎週何曜日の何時にはどこそこの決まった公園に出没をして、初週に子どもにヨーヨーを教えて、次の週にその子どもたちが友だちを連れてきて、、、ということを毎日違う公園ですればいいと言っていました。とにかく生き残れ。とブームの真っ只中でその言葉をくれたのはデールがそれこそ何回も体験してきた悲しい現実だったからだと思います。そのデールですら一時期はヨーヨーから離れ、シアトルでコックをしていた時期がありました。(話は変わりますが、デールの作るメキシコ料理はとても美味しいです)

ヨーハンも子どもの頃に学校でヨーヨーを売りすぎて学校に目をつけられ、ダンカンにスカウトされたそうです。ヨーヨーの手売りは人がひとり生きる上での一つの道としてはありですが会社の事業としては安定性に欠けます

もちろん今は時代が変わり、ヨーヨー一本でチャレンジしてく環境も整っています。

ここからはいつものそろはむの企業理念になっていまうので引用しようとおもいます。

ブームが来ては消えていたヨーヨーを永続的に発展していける文化にします。

ブームが終わるとヒモが手に入らない→遊べなくなるというような悲しい状況は二度と起こさない、またヨーヨーをしてみたいと思っている人たちが気軽にヨーヨーを手に入れたり、ヨーヨーの情報を得られる環境を整備していきます。

趣味としてのヨーヨーに深みと広がりをもたせます。

ヨーヨーが色々な所に露出したり、コラボレーションをしていくことに毎回新鮮な気持ちで喜びを感じます。
株式会社そろはむはヨーヨーの可能性を信じて更に広げていくことを使命としています。
また、ヨーヨーで得たノウハウをけん玉やコマ等のスキルトイにも活かし、伝統的な遊びを競技として、ファッションとして、スタイリッシュに発展していくお手伝いをしていきます。

会社である以上、世の中のためになる企業活動を継続して発展し、利益を出し、税金という形で社会に還元しつつ、経営者としては社員の生活も考えていく必要があります。

と株主に対するような説明をするためにこの文章を書いているのではないのですが、上記のような理由に加え、デールオリバーが自分に渡してくれたバトンを更に大きくして広めていくのが自分の人生の役割だと考えるにいたり、スキルトイの総合会社を目指して、活動を始めています。いま、スピンギアという存在はヨーヨー界はもとより、けん玉界、こま界でも一定のプレゼンスを確保し、スキルトイ業界に全方位で取り組んでいる唯一の企業となっています。

いつか3つのコミュニティーをつなげ、大きな一つの枠組にして永続させて行きたい、100年の文化にしたいというのがそろはむが業界向けて発信していく価値と企業理念になります。

まもなく1年に1度の大きな発表の場、東京おもちゃショーがやってきます。去年、いち早くハンドスピナーを仕掛け、玩具業界では新参だったそろはむという会社が日本中の店舗に商品を届けるというミラクルを成し遂げました。多くのお客様に期待していただいているというプレッシャーと共に、また多くの方にスキルトイの楽しさを伝えるチャンスだと思っています。

今後のそろはむとスピンギアの活動の行方にもご注目ください!

最後に、ダンカンが6-70年代に発売したと思われる謎の物体。これもスキルトイ?

Duncan box a ball®︎

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