レクストリーム物語その2

前回までのお話

2013年世界大会:


「やらかす。」

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APの時、特に強く感じていたのだけどできることを並べてきてるけど見てくれ!これが見せたい!とかいつもほどドヤ感が少ないというか、まとめてきてるなぁという印象が終わって映像を見なおしたら感じました。結果が出てからの反省はキツイものがあるかと思いますが、いま振り返って、AP部門と4Aを両方出て、やらかしてしまった理由を教えてもらえますか?

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まー実際そうだと思います。面白い/尖ったコンテンツが揃えられなかったから無難にまとめるしかなかったと。

これまでの世界大会を振り返ると、良いモチベーションと目標意識の中、2012年までは出場していたと思ってます。(2011年は仕事の都合でいけませんでしたが)

が、2013年は失敗しました。なぜか。自分なりに分析すると3つのことが浮かんできました。

①勝ちすぎによる精神の摩耗と劣化

実は2012年の世界が終ってから後、44CLASH, CJ, 浜コン, JN と、出場5大会全ての大会で優勝してきました。大会に出始めてから、ここまで勝ち続けたのは初めてです。

世界チャンピオン病を更に重ねた、マルチタイトル病みたいもんにかかったんだと思います。もちろん油断なんて絶対にしようと思ってなかった。驕りも無かった。と思ったけど、どっかでそういうのがあったんでしょうね。あとは気持ちが切れてしまったのかも。それだけ優勝してきたってことは、それだけ大会に精神を削ってきて。その1年で削れる分の気持ちが、2013年8月の時点ではもうあんまり残って無かったんでしょうね。


勝ったら勝ったで悩みがあるんですね、、、外から見ていての感想なので本人がどう思っているかわからないけれど松浦豪くんも井上琢磨くんが居ない年よりはいる年の方が張り合いがある気がします。切磋琢磨するライバルがいるほうがモチベーションを保つには良いのかと思います。

②社会人として戦う準備の不足

2012年参戦時も確かに仕事は忙しかったですが、2013年は夏前にかけてほぼ毎日終電状態が続いてたので、練習時間の確保が非常に難しかったです。

もちろん社会人だったら仕事が最優先事項なので、そういった状況の中、「少ない時間の中でいかに効率的に練習するか?」が社会人プレイヤーに求められるところなんですが、まだこの時点では、比較的時間のあった学生の頃の練習方法と時間感覚が残ってました。

学生の頃はギリギリまで技の練習に当てて、1ヵ月前に曲を決めてそこから一気に作り込んでいく方法をとっていました。でもそれって時間がある学生じゃないと無理なんですよね。時間が無いなら、その中で時間単位の練習効果を最大限にする方法を考えないと。

 ヨーヨーで「遊ぶ」時間と、ヨーヨーを「振る」時間と、ヨーヨーを「練習」する時間、を意識して区切らないと。

その区切りの意識が、あんまり出来て無かったです。

その感覚意識の欠如は、APでも大打撃だったと思います。4Aにおいてはこの時間種のうち「練習」の時間を最も意識しなければならないんですが、APについては逆に「遊び」の時間が実は最重要です。自分のAPのそもそものコンセプトは「X部門」なんすよね。通常の1-5Aに属さない、奇抜、邪道なものを、高次に持ってく作業。ヨーヨーでこんなん出来るんですよ実は!みたいな。でも、それだけじゃヨーヨーコンペティションの演技としては僕は駄目だと思ってたので、技術としての難易度も欲しい。更にAP部門っていうショー性が問われるステージなので、それらを上手く一つの演技にまとめてく。2010年のAPがそういう意味では一番良くまとまったと思います。

でもそのコンセプトって、ヨーヨーの奇抜な使い方やなんかを無駄な試行と遊びにめちゃくちゃ時間をかけて、その中でアイディアを拾ってく作業が必要なんです。学生の頃は時間があったので、それが2ヵ月~1ヵ月あればよかった。実際2010年もアイディアを集めてから、一個の構成にまとめ始めたのは2-3週間前でしたし。

ただ、上記のように限られた時間の中で4Aの練習もやりながら、そんな時間を確保するのは難しく…そこの見通しが甘かったですね。2012年は4Aだけでギリギリだったのに、次年度2部門参加は今冷静に考えてみると無茶でした笑 

AP部門の話、そこから実は繋がってくる、石原大サーカスの話はまたTAKAさんとしたいっすね。意外なことにユーキスペンサーとポールハンが実はすこーしだけきっかけをくれた人でもあります。


そんなこんなで、やはり準備不足がたたり、アイディアも成熟しきってない中で無理やり間に合わせたAP演技、練習がそもそも量質ともに未熟だった4Aに、結果としてはなってしまいました。

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AP部門の話はとても共感できます。1年を通じてどれだけ遊んでいたかが大切で自分一人で考える部門というよりは周りの人たちからインスパイアされて100あるうちの新しいアイディアから90の無駄なことと10の使えそうなことから2,3が使い物に慣れば良いという割合ですね。なので社会人をしていると年々貯金がなくなってかつてのX部門のような贅沢な新規ネタOnlyのアイディア放出パフォーマンスは中々厳しくなってきます。自分の場合は、大体世界大会終わって遊びほうけて(ヨーヨー的に)、冬の間にアイディア蓄積して年明けから固めていって、4月からはつかう技をどうブラッシュアップしていくか、というスケジュールでいつもAP部門は取り組んでいます。特にX部門スタイルだとアイディア使い回ししてもふーん、で終わってしまうことが多くて、毎年全く違うことやらないといけないようなプレッシャーがあるので悪戦苦闘します。練習は練習で協議の部分で必要ですが、APに使えるようなXネタは正直練習会で仲間と遊んでないと出てこないものしか無いと言っても過言ではないくらいなので手元に珍獣石原を飼っているReiが時々羨ましいです。

APと4Aという全く逆のことを同時に進行するのも時間があった時なら良かったかもしれませんが社会人という成約の中だと厳しかったと思います。一方でクリエイティブに、一方で決めたルーティンを集中してミス無くこなすことだけを繰り返す練習をしないといけないという。練習して楽しいのはAPだろうけど4Aは地味にそれこそ何百回と通さないといけなくてそれで精度をあげていくことが必要になります。でも100回やってもそこまで大きく精度が変わるかというと練習の量に見合った進歩には中々ならず優勝を狙っていくレベルの精度の上げ方ってひたすら忍耐だったりします。

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 それは確かにありますね。一人で頭使ってずーっと掘り下げていくものもあるんですが、仲間内で遊んでいて「これやったらやばいよね(笑)」をやってみると意外と兆しが見える。あれ、これ本気でやればちゃんとした技になるんじゃない?って思って、そこから遊びが練習に変化、トリックが出来るってパターンは経験あります。

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たまに2000年の構成をもう一度やっても今の技術とヨーヨーならまぁまぁ行けるんじゃないかと思ってしまう時があります。誰もやらない行き止まり系のスタイルが多すぎたので。その中でソロハムも消え行くスタイルだったところを坂田くんに救われてReiに発展してもらったのでとても嬉しいです。

Reiとのコラボはいつかやりたいよね、とずっと言っていて実はやっていない部分なのでやりたいです。実は2013年のAP部門はお互いかなり影響を与え合っていてある意味コラボチックな部分があったのかなと重います。そこらへんは次回掘り下げてみます。

もし一緒にパフォーマンスを組み立てる機会があったら二人で器具系を発展させたり不思議なパスをする、というのもやりたいですが、猛獣石原をお互いがどのように調教するかという素材の料理対決もやってみたいです。

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99年や2000年のX系構成を、今リバイバルしたら面白いとは自分も良く思います。当時は発想は凄かったけど、ヨーヨーの性能とプレイヤーの技術が追いついてない部分が多々あったと思うので、今のヨーヨー、今の技術でのリバイバルは是非見てみたいです。2000年世界の長谷川さんもそうですが、1999年のチームオフストリングとかも今ちゃんとやったらノーミスばんばん出せるはずです。

③当日の戦略ミス

2013年はどの年よりも体力温存に努めました。が、これが裏目に出ました。

会場行ってからは1日数回の調整演技練習のみ。でもこれって日本で死ぬほど練習してきた人がやるべき事で、上記のような状態ならば本来は現地で完成度を上げてく作業をしなきゃいけないんですよね。

「疲れすぎてステージ上でへろへろになるデメリット」よりも、「当日の調整を十分にしなかったデメリット」の方が結果として勝ってしまいました。実際学生時代より体力めっちゃ落ちてたので、体力温存が一番かなーと思いましたが、戦略ミスでしたね。


もしかして試合前に何か違和感を感じた?
これはまずいな、と感じたのはいつ?

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あーこれやばいかも嫌な予感するってのは、4A部門の数時間前から。いつものいい感じの緊張が無い。集中出来て無い。あー世界大会だなーみたいなふわふわした気持ちでした。

ステージに呼ばれても、緊張しない。で、最初の腕コンボでミスって、あ、これはあかんわーと。集中してないし体が動かないっすね、そりゃ調整してないんだもの。

ある程度緊張するのって必要な事なんだなと再確認しました。練習すれば練習した時ほど、本番緊張します。緊張しすぎは駄目ですが、リラックスしすぎはもっとだめですね。

そこのコントロールが、上二つの理由とも重なって、全然出来て無かったですね。

大会終わっても、悔しいって感じが直後は無かったです。でもしばらく経ってから、

2006年世界以来感じてなかった非常に大きい悔しさを感じてきて、ホント辛かったですね。

日本帰ってもしばらく引きずってたので。ちょっとの間は沈んでました。

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【動画は各自で探して下さい】

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こうして一番大切な世界大会でやらかすという結果からどのように今回のJN優勝まで立ち直るのか、感動のストリーリーがいま花開く!

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世界大会の直前までには連載を追えて、岩倉選手のステージに感情を込めて応援する予定で進めていた企画でしたが私、TAKAの編集の遅れで世界大会直前に終るか微妙な流れです。が一気に集中連載して終わらせていこうと思います。(と自分に言い聞かせ)